きつねのよめいり

猫と音楽と絵と時々男の料理

お店に貼ってあった広告で、
「置くとパスする」、合格祈願のたこ(おくとパス人形)が載っていました。
横に、「履くととパス」する、はくとパスパンツも広告されていました。
すでにたこ、関係なくなってます。

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 寒いです。
 雪がこれでもかと降りしきり、土日で除雪車がでないため、どんどん道が狭くなっていきます。人の足跡がそのまま道です。でも雪がふかふかでちょっと気持ちよさそうです。いつも、土日に限って雪がもさもさ降っている気がします。
 温まりたくて、かつ最近元気ないから肉を食べなきゃというとき、よく豚汁を作ります。私の作るのは、具の6割くらいが大根な気がします。残り3割くらいはにんじんです。
 結局肉はあんまり入りません。
 
 日を追うごとにどんどん煮詰まっていくので、頃合を見計らって水を適当に入れるのですが、しばしば入れすぎます。
 料理うまくなりたいです。

かりかり書いて勉強しているので、ぺんだこが復活しつつあります。
痛いです。
勉強頑張っているつもりなのですが、
疲れるばかりで賢くなった気がしません。
むしろ食べかけのお菓子を落としたり、楽器ごと壁にぶつかりそうになったりと、実生活では間抜けになっている気がしないでもありません。

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 Trail of Tears、というブルーグラスの曲があります。
 直訳したら涙の道、曲名だけでなにか悲しいことがあったんだろうなと想像できる曲なのですが、物悲しくもとてもきれいなメロディで、好きな曲です。
 サークルで先輩が歌っているのを聴いて、きれいな曲だくらいにしか思っていなかったのですが、実際に私も演奏することになりました。それで、歌詞を調べてみたのですが、どうもわかりづらいのです。どうやら故郷を離れた人が戻りたいけど戻れない、と言っているのですが、その戻れない事情についてはっきり言及しないのです(ブルーグラスの曲はそういうのが多いけど)。が、その事情と思われる部分も歌詞の中にはあって、それがなんだかメロディにそぐわない荒々しい描写で、一体なんだろう、と思っていました。

 その後調べてわかったのですが、1830年代、アメリカのジョージア州からノースカロライナ州一帯に住んでいたネイティブアメリカンの一大勢力、チェロキー族が、1000マイルも離れたオクラホマ州へ強制移住させられたことがあったそうです。馬が十分でなかったため徒歩で、山を越えねばならず、食糧不足や病気などで4000人以上が亡くなった、という歴史の歌でした。その旅路を、チェロキーの言葉で、「みんなが泣いた道」と呼んでいたそうです。

 遠友夜学校に来ている俳人の方が、正岡子規の
手鞠歌 悲しきことを 美しく
という歌を紹介してくれて、ブルーグラスにも通じますねと伝えてくれたのですが、まさにその通りです。

 表現者としての歌うたいにはいろんな形があると思いますが、こういった歴史を後世に伝える手段として歌を使う、というのも素晴らしいなあと思いました。

国試の勉強会がとうとう始まりました…。
2ヶ月は短いと思います。
がんばらねばなりません。

最近寒いです。
でも雪雲の合間の空の色はすごくきれいな色をしていて好きです。

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学校から。

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 エジプト人の留学生の人がいるのですが、以前その人と先輩方が話していたとき、話題が結婚のことになったそうです。
 エジプトでは、恋愛→結婚という図式はなく、男性が見初めた女性の父親に直接プロポーズし、父親と娘が相談して受け入れるかどうかを決めるそうです。つまり女性には選ぶ権利がほぼ無いということで(しかも知らない相手だし)、少々不公平な気がしますが、それが当然の世界ならあまり不満も上がらないのでしょうか…。
 なので、エジプシャン的には、日本人(だけではないと思うけど)が結婚する前にお付き合いをする、しかも(表向きには)その相手とは結婚を前提にしているわけではない、というのがどうにも理解できなかったようなのです。
 で、研究室のいろんな人の名前を挙げて、この人にはボーイフレンドがいるのか、この人にはガールフレンドがいるのか、という会話になったそうなのですが、エジプシャンがおかじまさんはどうなのだと先輩に聞き、先輩がわからないと答えると、「彼女は素晴らしい人間だからそんなのいるはずがない。絶対にそんなことはしない。」と力説してくれたそうです。

 エジプト人的には最高に褒められているのも、かなり高い評価をいただいているのもわかるんですが、うれしくないよ。

3月始めの国家試験に向けてみんなで勉強会、はじまります。
毎年卒論が12月に終わってから準備…となるため、
正味勉強できるのは2ヶ月くらいです。
うちの教室の助教授の先生は2月に入るまで勉強しなかったと言ってますが、私は長期努力型なので、とてもとても無理です。
短期スパート型でもそれは無理だと思いました。

教えるのも教わるのも学生という勉強会、
責任は自分たち持ちですから気合も入ります。
今日もA3の資料約600枚/人を無事配布、腰が痛いです。

体調管理もしっかりしないとなりません。
最近の頭痛と気持ち悪いのと、まだ治りません…
そのほかにもちょっと気になるいろんな不調が多いので、今のうちに病院に行っておこうかなとも思ったり。


山の資料を見てたらテンションが上がってきました。
がんばります。

年末年始と体調がよくありません。
昨日は昼間からひどい頭痛で起きられませんでした。
起き上がると痛いし気持ち悪いから、
トイレに行くだけでなにかやり遂げた気になりました。
生産的なことは何もしてないんだけど。

急に張り切って勉強しだしたからかもしれません。
なんかすでに、やればやるほどわからなくなってる気がします。
たぶん錯覚です。

* * * * *

 勢いよくロッキングチェアを揺らしていた教授はがばっと立ち上がり、
「どうだ、ちゃんとやってるか」
と言ってまたどこかへ行ってしまいました。
 このとき、なんか違和感を感じたのです。
 が、発表時間ということもあり、そんなことはすぐに忘れてまたいろんな人に説明をしていました。
 なかには、私が研究するに当たって、その論文を参考にした研究者の方もいらして、「ぜひ一緒になにかできたらいいですね」とまで言われて感激もしました。

 後に卒業論文の発表をして思ったのですが、やっぱり日本語で質問されるのはわかりやすいです。質問の意味もわかるし、質問している人が何を聞きたいかも汲み取れます。英語だといっぱいいっぱいでした。何を聞かれているかしかわかりません。それでもなんとかやったと思います。

 発表時間がわずかになった頃、説明をしていると、カメラのフラッシュが光った気がしてチラッと横を見ると、教授がいました。
 その時、さっきの違和感が何だったのかわかりました。
 日に焼けて顔が赤くなっていました。
 先生をしばらく会場で見なかったのは、つまり海に遊びに行っていたということで。
 あとで聞いたら先輩も一緒だったそうで、「先生は波打ち際の海草を食べてまずいと言っていた」そうです。

 そうこうするうちに無事、発表時間を終え、ポスターを片付けてしまいました。このあとも追い込みで実験することにはなるのですが、2005年の大きなイベントの一つがまた終わり、ほっとする一方寂しい感じです。

 ふと気がつくと日が傾きはじめていました。
 実はマウイに渡ってから、毎日夕方は曇っていて、夕焼けを一度も見ていなかったのです。 が、今日は晴れてる…

 というわけで、学会会場の庭にちょっと出てみました。

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 つくづく、いい場所でやってたなあと思います。

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